富士宮

2008.11.22全県フォーラム 第4分科会 その3

<黒松> それでは息子2人に富士宮青懇の関わりとか、同友会の関わりとか話してもらいます。

<哲哉> 同友会は社長が「ミスター同友会」といわれる位、同友会をながくやってきましたので、必然的に「入れよ」と。「ハイ入ります」。言われるがまま始めたというのが正直なキッカケです。最初の頃は正直自分の仕事もいっぱいいっぱいなのに、異業種交流で勉強することって何?と自問することもありました。ところが富士宮の青懇、今日部長もきておりますけども、非常に活発に動いております。青懇は20人位ですね、そのなかで更に私達昭和51年生まれ、76世代とよく青懇ではいっておりますけども、同じ年の人間が6人いるんです。その会に出ることによって「苦労しているのは自分だけじゃない。みんなも頑張っている。負けたくない」という切磋琢磨する環境にありましたので、今、同友会は楽しいです。プラス重鎮の方もおりますので、いろいろご教授願ったり、たまには怒られることもありますが、飲みに連れていってもらうこともあったり、そういう形で同友会で勉強させていただいております。まだまだ始めたばかりですので、自分の仕事がいっぱいいっぱいのときは同友会は後回しにするというスタイルにはなっていますけども、社長からも同友会の話は聞いていますし、皆さんからも聞いています。一生皆とつきあって行くんだろうな、というふうには考えております。

<直哉> 同友会との関わり、社長と黒松先生が同友会で出あわなかったら、私はここまでちゃんと仕事できなかったんじゃないかと思います。青懇の関わりも常務が言ったとおりすごい。一緒にやっていて涙を流しながら話をしてくれる冷凍食品屋さんがいたり、私の社長の愚痴を聞いてくれる文具屋さんがいたり、夜、飲みに連れていってくれる人がいたり、いろいろと勉強も経験もさせてくれる環境にあります。

 そして黒松先生と社長がつながっていることによって、私が黒松会計事務所に入れましたし、良い経験をさせていただきました。黒松会計事務所にいた22歳で同友会に入会しました。その1年後の話なんですけど、富士宮支部の新入社員合同入社式で「先輩からの一言」をやれと、話すのが苦手な私はイヤイヤやりました。案の定失敗でした、その帰り黒松先生に「人前に立って話すのは男の勝負だ」と言われて、それからは会社でも出来るだけ自分から発表するようにしました。お陰で社員に部長の話は分かりやすいと言われます。先日支部長に飲みながら、「後継者の右腕としての立場」というタイトルで発表させてくれないか、とお願いしました。同友会は僕を変えてくれたと思います。

<黒松> ありがとうございます。事業承継と同友会の承継というのはそれほど関係ないのかな?と思いますが、富士宮支部のなかでは同友会の承継と事業承継というのはほとんど同一語的に語られているところがあるんですね。そういう観点から社長の方から少しご説明願えますか。

<信幸> 富士宮支部、さきほどいいましたように初代の頃のメンバーに私も加わることが出来、青懇を早く立ち上げて、息子がまだ幼稚園・小学校のときに、子供たちを連れて朝霧牧場へ行ってタラの芽をとって天ぷらで食べたり、田貫湖でテントを張ってお釜でご飯炊いてオコゲが上手かったとか、20年ほど前に子供連れでみんなで集まった、その子供達が今青懇をやっている。そういう部分ではうまく繋がったものだなと思います。

 私たちが30代の頃、激論を交わして同友会を去っていった人たちが、今息子を同友会へ入れて「河原崎、息子を頼む」と言ってくる。若い人たちを育てる土壌が同友会にはあり、周りに認知されていると思います。富士宮支部を立ち上げた後藤さん竹内さんが後輩を育てて、薫陶を受けた私や黒松が一生懸命次に伝える、それがまた次の時代に。同友会も会社と同じで、20年位のスパンで旗振り役を後継していく、ですから私たちも次の旗振り役を育てなければいけないのです。

 今日の記念講演の講師が言っていました「会社の中で優秀な人間を後継者にする」と。私が同友会に入会した頃「後継者は会社で一番優秀な人に、それも他人のほうが良い」という考え方が大半を占めていました。事業承継は富の継続ではなく、あくまでも経営の継続であると。中同協を築いた人達が、赤石さんを始めオーナー経営ではない方が多かった、その経営を手本としたから。私はそう思っています。中同協もこれから鋤柄さんが代表を努めることによって、変わっていくと思うんです。「三つの目的」がしっかりしていれば、方法・手段や価値観は変わっていくものだと思います。私は同友会における後継者のあり方も変わりつつあると思っています。

 会社においても経営者が変われば会社は変わって行くべきだと思います。それでも創業の精神は残ります。私は会社の後継と、富士宮支部の後継を同じ視線で見ています。私は同友会的生き方を実践して行きたいと思います。

<黒松> ありがとうございました。十分討論を尽くせたと思います。最後の社長の話の中に「同友会的生き方」という言葉が出てきました。会社の経営、地域に対する責任、事業継承等々を同友会に学び、同友会に反映させ、同友会と共に成長していく。そんなことが「同友会的生き方」だと思います。パネルディスカッションを閉じるにあたり、皆様のご協力に感謝します。それではバズセッションに入ります。

<黒松> 各グループから質問事項が出ています。私の方から質問して答えてもらいますのでよろしくお願いします。社長は業態変更されましたけども、息子さんたち2人、新しい試みを考えたり5年先、10年先のビジョンというのをおもちですか?

<哲哉> まず新しい工場をというのが僕の目標でした。北山工場が決定したので一番の目標を失ったところです。製造業は常に新しいことにチャレンジしていかなければ取り残されていきます。でもあくまでラミネートを基本とし、様々に展開させていきたいと考えています。

<直哉> 私の目標の第1ステップがISO取得。第2ステップがISOを武器に、社内のシステムを強化し、品質を向上させ、それをシンコーラミの営業力に反映させる。数字目標は5年後に売上20億、利益1億。そしてシンコーラミブランドの商品開発をしたいですね。

<黒松> ありがとうございました。この質問が多いんですが、親子関係がうまくいっている秘訣は?何か特別なことをやっていますか?子育てがうまくいった秘訣は?

<信幸> 私は子供を所有物と思った事はありません。長男が小学校4年の頃に母親に「水!」と言った時私は「誰に向かって言っているんだ、この人はお父さんの奥さんだぞ、くやしかったら早く大人になって奥さんをもらえ」と。次に日から「お母さんお水ください」と。妻は「貴方よく子供を他人行儀にできるね」「たまには感情で怒ってよ」と。小さいときから子供の人格を大切にしてきました。子供に柔道をやって欲しくて、道場によく連れて行きましたが、アダとなって子供はサッカーを、それなら俺もと審判の資格を取り、バスを運転して遠征に、子供がやりたいことは相対で付き合ってきました。それと同友会の集まりに、子供たちが参加してきたことも大きいと思います。小学校前後から経営者の集まりに参加しているんですから、将来経営者になりたいと影響受けても当然ですね。あくまでも振り返ってそう思うだけで、計画したわけではないんですが。次男は長男の背中を見て育ったと思います。今は違うんでしょうが、「兄貴は絶対」ってところがありました。だから社長である兄貴を助けるんだ、という思いが育ってきたと思います。

<黒松> ふたりに聞きますけど。「兄弟2人のバランスを誰がとっているんだ」という質問。

<哲哉> お互いに「俺がバランスをとっている」と言っていると思います。僕は「僕がとっている」と思っています。弟は裏で「俺が一番大変」って言っていますし、それぞれだと思います。

<直哉> 実際コントロールしているのは兄ですね。僕は経理なのに一番感情的なんです。会社に入って1年目の頃、兄に仕事の話で突っ掛かっていったんですが、最後にうまく言いくるめられて、「ばか!」って言ったことを憶えています。先ほど社長が言ったように、僕は兄の背中を見ています。たまに二人で飲みに行ったり、同じチームでサッカーしたり。うちの家族毎週のように集まるんです、皆で旅行に行ったり、ゴルフに行ったり。コミュニケーションは当然取れています。兄に抵抗はしますが、従っていくんだろうなと思います。

その4に続く。ついに次回最終回です。


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