平成22年度 富士宮中小企業大学 第四講 レポート
平成22年度 富士宮中小企業大学 第四講
開講日 10月19日
講師 静岡大学人文学部教授 上利博規氏
講義 「文化」 -古事記・日本書紀を読むー
はじめに、なぜ同じ頃に「古事記」「日本書紀」が書かれ、二つあるのか。日本書紀は正史と呼ばれるが、古事記は正史ではない。古事記では「倭建命」が日本書紀では「日本武尊」と書かれている。古事記は33代「推古天皇」までだが、日本書紀は41代「持統天皇」まで書かれているので、編纂時期が大きく違っているのではないか、そして日本書紀は「日本」という国を大きく意識して書かれている。
特徴としては、正史のモデルである中国の史書と違い、「神話」から始まっている。古事記・日本書紀という歴史書が必要とされた背景を考えて見ると、対外的には、中国・朝鮮半島から影響を受け、従属していた関係から、律令国家の体裁を整え、対等な関係を結ぶ必要があったため。対内的には、大宝律令の制定や平安京など、国家を樹立するために必要であった。歴史書は支配者側から書かれる。
日本書紀も、豪族間や天皇の親族間の闘争の果てに、時の権力者の立場で書かれている。では誰が何のために書かせたのか、二つの説がある。「天武天皇説」天皇中心の国家体制(皇親政治)を構築する。天照大神を天皇の祖先神とすることにより、伊勢神宮中心の神社制度の確立。「藤原不比等説」蘇我氏滅亡の陰謀や天皇家乗っ取りを、神話により正当化するため。
勝者が編纂する正史の日本書紀に対し、「竹取物語」は稗史(敗者側)であろう。当時の権力者を、かぐや姫に求婚する5人の男になぞらえて笑い者にしている。最後に古事記・日本書紀に出てこない、富士山を舞台としている。古事記・日本書紀に富士山が出てこないのは、関が原以東の関東は、当時の権力者にとって、敵の豪族の支配地だったからであろう。
古事記・日本書紀の神話は、当時の日本人の集団的記憶を語る言葉であり、ものごとの起源や由来を示している。私たちは歴史的背景を推し量りながら、そこに織り込まれた当時の人々の心模様を読むことで、そのような歴史の流れと積み重なりの上で、今を生きていることを感じよう。
報告:河原崎信幸 (シンコーラミ工業株式会社 代表取締役)