富士宮

気づかない幸せ

 私の趣味の一つはランニング。H19年の2月頃から初めたと思う。陸上未経験で昔から走ることが大の嫌い。小、中、高のマラソン大会はいつも後ろの方。高校の時などゴールしたら撤収後で下校中の生徒がいる中、校庭に戻ってきたほどだ。それが30代のある時を境に走ることに目覚めたのである。

 走り始めは平成19年2月頃だったと思う。当時は安全靴に作業着という出で立ちで子供達を連れて公園で遊ばせそのついでに目の届く範囲でジョギングしていた。この時思った事は、安全靴は走る為には全く考えられていないということ。すぐにソールが剥がれてしまった。「よく作業服で子供らをつれて来てたなぁ」といまだに周りのランナーには当時の話をされる。

 週に2、3日走りに行っていたら地元のランナー達の目に止まった。声を掛けられすぐに仲間になった。皆に大会への出場を勧められ物は試しだとエントリーした。一番最初の大会は「富士山こどもの国」の中を走り回るクロスカントリー10kmの部。行ったことのある人は分かるだろうが起伏が半端ではない。私の周りのランナー達もいきなりあそこでは・・・と言ったほどだったが、エントリーしてしまったので後戻りも出来ない。完走はしたものの、非常にしんどかった。しかしこれがキッカケで一気に練習に熱が入り記録への執念が湧きはじめたのだ。

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  そして今や、年に20本前後の大会にエントリーしている。ほとんど、毎日の練習は欠かさない。仕事を終えるとそのままジョギング。夜会合などある場合は昼間時間をやりくりしてジョギング。週に一度はポイント練習で体を追い込む。それは見ている他のランナーが引いてしまう程。まるで部活のようだと私は思う。昨年のH21年11月河口湖フルマラソンでは2時間56分という記録を出せた。

 たった3年ほどの経験でもここまで走れるようになった。やれば出来る!と自分の人生での自信もついた。仕事のストレス発散にもうってつけだった。

 ところで、日頃よく「何故走るのか?」と聞かれる。いつも、外向けには「メタボが気になるから。」と答えているのだが、実は本当のキッカケが他にある。

 走り始める以前、妻が病で倒れた。私の家では子供達の面倒を見れる(自分の親との同居)環境がなかった為、私と子供3人は妻の実家で世話になることとなった。

 当時子供は上から5、3、1歳。朝の出社前に三人を保育園に預け帰りがけに引き取り、実家へ帰り晩飯をもらい風呂や明日の支度をして就寝。実家にも兄さんたちの姪達がいるので、なかなか子供達の思うようなワガママも聞いてやれなかった。休日だけ外へ連れ出してお菓子やアイス等ワガママを聞いてやることができた。

 妻の病院へも見舞いや付き添いに行き、私はそれらを何の苦労とも思わなかった。ただ寂しさが募った。そして思ったのは私が倒れたら、とそれを考えたらいてもたってもいられなくなっていった。

 「私が病気になって家族に同じような寂しさはさせたくない・・・」と誓い、自分の置かれた環境で出来る事を考えた。妻が病に伏せるとこんなに大変なんだという事を改めて感じた時でもあった。

 そんな時に、仕事の合間空いた時間で一人で出来る、お金もかからない、健康でいられる。それがジョギングだったのである。

 普通の生活を送っていると全く気づかない幸せ。

 それは、普段と変わらぬ生活が出来るコト。朝家族みんなで目を覚まし食事をし、一日の事に一喜一憂し、一緒に風呂に入り布団に入る。なんとも幸せなことか。

 不健康になると健康のありがたみが良く分かるのと同じ。若いからとたるんでいるとしっぺ返しが必ず来る。そうはならないかもしれないがそうなったら後戻りは出来ない。

 今では走る事に関してシビアになり過ぎ逆に体を不調にさせている事もある。家族に「走りすぎ!」と釘を刺される事もある。

 でも自分の不健康で家族に寂しい思いをさせたくないから、今日も走ろう。

株式会社朝日鉄建 朝日康典


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