シンコーラミ工業株式会社 新工場竣工式
2009年7月5日、富士宮支部会員、シンコーラミ工業株式会社(代表取締役:河原崎信幸)の北山工業団地への進出、新工場の竣工式&パーティがあり、参加可能な同友会メンバー一同で行ってきました。当日は小室直義富士宮市長始め、議員、関係者らが集まり、竣工を祝いました。
2000坪を超える敷地、1000坪を超える建物。見事でした。
地元企業で工業団地への進出はそうそう頻繁にある事では無く、仲間として、頼もしい限りでした。
ただ、知らない人が外から見れば、順風満帆で羨望の的にもなりそうな、素晴らしい新工場。しかし、その影には、涙無くしては語れない苦労話が山積している事を僕たちは良く知っています。それ故に、この日が来たこと、自分たちの事のように嬉しく、心から祝うことができたと思います。
父である、先代の創業したパール紙工株式会社にて、現場で働いていた母が事故で右腕を切断する事態が発生し、これを契機に河原崎信幸氏は入社されました。
しかし、社長の息子、さらに下請け100%の会社ということもあり、積極的な経営に参画出来ないことにフラストレーションを感じたことや、また、「何があっても食える道を模索しておきたい」と思ったことをきっかけに、社労士の資格をとり富士宮労務協会を立ち上げた。さらには、下請けではない、自社商品の事業を、と模索していた中で「ラミネート」事業に着目。1982年にシンコーラミ工業株式会社を設立され、順風満帆に伸びていきました。
しかし、苦難の平成時代に突入します。知人のおしぼりの会社が経営難になり、営業利益が出ているため救済しようと、シンコーラミ全額出資で再生に参画するも、出資金と借り入れで大きな借り入れがここで発生。その後、一年もしないうちに、シンコーラミの主要取引先が倒産し、3億を超える負債が発生、あわせて5億超の出費がほんの一年の間に発生したことになります。
苦難を乗り越えるべく事業に邁進する同社。しかし、追い打ちをかけるように今度は平成15年に中部銀行の破綻で打撃を受けてしまうことになりました。
再建計画をたて、地元信用金庫の協力を得て借り入れ債務を一本化。その柱として父の創業したパール紙工とシンコーラミ工業の合併の必要に迫られ、シンコーラミが存続会社になりました。
が、合併も落ち着いた翌年2004年、もうこれで何度目になるのかわからない悲劇が同社を襲ったのです。
「本社工場出火」
誰もが耳と目を疑う災害。
本社工場の生産機能が停止。同友会のメンバーには消防団に所属している会員も多く、現場に駆けつけ鎮火にあたった者も多数。
しかし、社長はくじけず、仲間の助力を得ながら、あらゆる手を尽くして工場を再建。
翌月には一部製造再開。
「5月に本社のメイン2工場から出火、新型のラミネート機・加工機を焼失してしまいました。幸いにも創業時に設備した1号機は一部損傷で済みましたが、それでも稼動するのに16日かかりました。1号機が動き始めたときには、嬉しくて一人駐車場で泣きながら仲間にメールしたことを覚えています。」と河原崎社長は述懐しました。
並大抵の精神力では打ち克てなかった困難に取り組み、1年後には完全復旧+機械の一新によって、さらなる生産能力を得て、危機をチャンスにかえて躍進するチャンスとなりました。
「企業は魂で出来ている」と僕は思う。
人間の体はそう簡単にはすげ替えはできないが、企業は、たとえ、その身がぼろぼろになったとしても、精神さえ、強靱に持ち続け、あきらめず取り組み、世に必要とされる限りは何度でもよみがえるし道は開ける。
そんな勇気をもらった気がする。また、その想いに、仲間、社員たちがこたえ、共に復旧に心を注いだ。
その成果が、より一層同社の結束を強くし、今日に至っているのだと思う。
そして、2009年、新工場の竣工。
雨降って、虹の橋がかかった。
その橋は、「皆の幸せの為に、信頼関係の為に、地域の為に」という想いと共に未来へとつながっていくのだとも思います。
息子、常務の河原崎哲哉氏、経理部長の河原崎直哉氏も、同友会富士宮支部会員。親子三人同友会会員というのは、静岡はおろか、全国でもまれ。
学び会いながらの日々。また、信幸の夫人も、思っても見ない苦労の連続にもかかわらず、献身的に会社を、家族を支えてきた。家族の和、会社の和、地域の和が支えたと言ってもいい、同社の経験は、これからの激動の時代に、何が大切で必要なのか示唆してくれているようにも思います。
哲哉氏と直哉氏も、経営のリーダーとして、まもなく信幸氏からバトンタッチを受けて、新工場となった工場を、従業員や取引先、そして多くの同友会同士と夢や苦労話を分かち合いながら切り盛りして行くであろうと思います。
これからまた、どんな成功が、また、どんな苦難が来るか、それはわからない。
しかし、何があっても折れない強い心をもって、進んでいく勇気があればこそ、新たな未来と感動の瞬間を作り続けるのだということを、想いが夢物語ではなく現実になるのだということを、河原崎信幸氏の姿勢から僕らは学んでいます。
シンコーラミ工業株式会社のさらなる発展、そして我々会員企業、地域の中小企業がさらに発展してくことを心から願ってやみません。
おめでとうございます。そしてこれからも共に。
■リンク
シンコーラミ工業株式会社
報告:有限会社カボスメディアワークス 田邉元裕