第42回青年経営者全国交流会in奈良 その3
9月19日、青全交2日目の朝は、(無理して)早起きをして、6時30分の朝食から始まりました。
と言うのは、7時過ぎに宿泊ホテルを出なければ、全体会の会場に8時前に到着することが出来ないからです。
全体会の開場となる奈良県新公会堂 能楽ホールは、定員が先着順の500名となっていて、開場時間の8時頃に到着していないと良い席を確保することが難しいほど人気のある記念講演になるだろうと楽しみにしていました。
ちなみに、先着500名からあぶれてしまうと、2階レセプションホールでの映像視聴(定員400名)となってしまいます。
全体の参加者が1,300名近くいたのですから、ちょっとした時間差で2階ホールでの映像視聴になることだけはどうしても避けたかったのです。
鹿が青い芝生の上でくつろいでいる脇を通り抜けて、会場には予定通り8時前に到着することが出来ました。
既に並んでいる人は100名ほどでしょうか。これなら十分良い席を確保出来そうです。
会場には立派な能舞台がありましたが、それをゆっくり眺めることはせずに、とりあえず席だけ確保した後、朝の観光(東大寺)へと向かいました。(この内容については後述します)
結局、9時からの全体会開会には戻って来れず、生で能楽を見る機会を失ったようでした。(少々、後悔しています)
記念講演は、「不揃いの木を組む」と題して、宮大工の小川三夫棟梁(鵤工舎)に90分ほどの講話をして頂きました。
小川三夫棟梁は、「最後の宮大工」と言われた、法隆寺大工 西岡常一棟梁の唯一の内弟子として技を磨き上げた人で「そんなんしたら、ヒノキが泣きよります」など数々の名言を残した西岡棟梁の大ファンである私にとっては、小川棟梁もまた西岡棟梁同様、「神様」と崇めたくなるような存在なのであります。
記念講演もしっかりとメモさせて頂きましたが、その内容の多くは「ほぼ日刊イトイ新聞」の「法隆寺へ行こう!」の「対談編(全9回)」に書かれていますのでそちらをご覧いただくとして、それらを含め印象に残った言葉をいくつかここで挙げたいと思います。
・3年半の下積み後、西岡棟梁から「納屋の掃除担当をせい」と言われて、本当に嬉しかった。なぜなら納屋には大工道具や書きかけの図面がいっぱい置いてあり「それを見てしっかり勉強せい」と言ってくれたようなものだったから。
・うちに来る若い衆は、何も取柄の無い人間ばかりです。何か取り柄が有ると、どっぷりと仕事に浸ることが出来ず、あっちこっちと余所を向いてしまってモノになりません。器用な人間は別な仕事で稼いだら良いのです。
・とにかく修行中は自分の考えを持たないことです。「斧を研げ」と言われたら、斧が針になるまで研いでしまうような人間でなければ務まりません。自分の考えを持つのは棟梁として独立してからでも遅くありません。
・10mの直角三角形を作れと言われて、器用な人間は30cmの三角定規を覗いて10mの三角形を作ろうとしますが、不器用な人間は本当に10mの直角三角形を作ろうとします。後者の人間の方が、将来、大きく成長します。
・一人前の大工になるためには、なるべく遠回りさせることも大切です。無駄なことをいっぱいさせて、その無駄に気付かせれば、今度はその無駄を省こうと目の色を変えて努力をします。
最後に、槍鉋(ヤリガンナ)の実演をして頂きました。この槍鉋は、室町時代にノコギリが発明されると途絶えてしまった道具で、それ以前の建物を修復する際には絶対に必要であると考えた西岡棟梁が、様々な文献を調べに調べて500年以上振りに復活させたという思い出深い道具であります。
小川棟梁が削る度に、クルクルとした綺麗なカンナクズが出てきます。このカンナクズを欲しいと思った人は私だけではないと思います。
小川棟梁が西岡棟梁から直接教わったのは、たった一枚のカンナクズだけだったそうです。そのカンナクズを大切に窓に貼り付け、同じカンナクズが削れるように毎日夜が更けるまでカンナを研いだというエピソードを思い出しながら、いわば神業とでも言うべき小川棟梁の動きに見入ってしまいました。
講演終了後の割れんばかりの拍手の大きさが、この講演の素晴らしさを物語っていると思いました。
とても素晴らしい記念講演となりました。小川棟梁、奈良同友会のみなさま、本当にありがとうございました。