富士宮

平成24年度 富士宮市中小企業大学 第四講

平成24年度 富士宮市中小企業大学 第四講

日 時    平成24年10月16日
講義内容   満州事変から太平洋戦争までの教科書を読む
講 師    静岡大学 情報学部長 荒川章二氏

 先生は始めに、「明治から太平洋戦争」では、大学での6日間の授業をこの講義に当てても足りないので「満州事変から太平洋戦争」に変更します、と断りを入れて講義に入られた。

 満州において、満鉄を中心に実効支配していた関東軍が、さらなる軍による統制を高めようと、柳条湖事件を自作自演する。国連からリットン調査団が送られる機を捉えて、ラストエンペラーを皇帝とし満州国の独立を果たした。

 国内では軍と右翼による共産主義の弾圧から政党政治の弾圧へ、2.26事件で皇道派の蜂起失敗により軍部統制派が実権を握り、政党政治は終焉を迎えた。中国では盧溝橋事件をきっかけに日本軍は、上海、無錫、蘇州に進行し南京では「南京虐殺」事件を引き起こした。両国とも宣戦布告のないまま戦闘がつづき、日中戦争は泥沼化していった。中国は対立関係にあった国民党と共産党が手を握り、重慶に政府をおき国共合作による抗日愛国運動が巻き起こった。

 ヨーロッパにおいては、イタリアではムッソリーニによるイタリアファシズムが、ドイツではヒトラーのナチスが政権を掌握し、周辺国に攻め入っていた。ノモハン事件でソ連に手痛い敗戦した日本は、けん制する為にも日独伊三国同盟を結び、イギリス・オランダ・フランスが支配する南アジアへ資源を求めて攻め込んだ。しかし、拡大した戦線には補給が行われず、現地調達の名の下で略奪を繰り返した。ベトナムでは200万人が餓死したといわれている。
ドイツがパリやロンドンへ、日本軍が重慶へ、都市部へ初めて無差別空爆を行ったが、戦争終盤に日本もドイツも連合軍に無差別空爆を浴びることになった。

 イタリアもドイツも1人の独裁者によるファシズム体制を築いたが、日本は天皇を押し戴いた軍部による体制なので、ヨーロッパのファシズムと同じとはいえない。イタリア・ドイツは独裁体制の崩壊が終戦を迎えたが、日本においては違った。日本が降伏するタイミングは何度かあった。軍部は、ドイツの敗戦、サイパン島の被占領による本土空爆、沖縄の敗戦となすすべもなく時間を費やし、本土決戦をむなしく叫ぶばかりだった。アメリカはヤルタ会談で決めたソ連参戦までに終戦を迎えるため原爆の投下を行った。

★報告:河原崎信幸(シンコーラミ工業株式会社)


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