テーマ 「地元金融機関の姿とお役様との関わり方」
富士宮支部の1月新年例会では、富士宮信用金庫理事兼業務部長の篠原勇氏を講師としてお招きしました。篠原氏は、富士宮本店長、他4支店長を歴任の「現場一筋」の信金マンで以前まで富士宮支部の会員でもありました。
富士宮信用金庫は自己資本率が28.49%と財務の健全性・安全性は高い水準を維持しています。また「地域の成長と前進を求め、みなさまと共に歩みます」の経営理念のもと、多くのお客様から支持され気軽に利用いただける信用金庫を目指しています。
また、お役様との関係を第一に考え、地域密着型の長期的な取り組みを実施しています。サポート相談室の設置や地域への貢献活動や行事の参加、社会貢献活動の一環としてみやしん地域振興協力基金を設立しています。
富士宮の地域経済は、少子高齢化にともなう人口減少によりマーケットの縮小という構造的問題に直面し、中小企業は大変苦労しています。信用金庫は、中小企業の事業事案の発展のお手伝いをして、地域社会の利益を優先することを常に考えています。また、お金を取り扱う業務ゆえ、お金にまつわるミスはあってはならないが、人は間違いをしてしまうことがあり、その時は、正直に説明し、ミス事項を後に回さず、最優先で全力で対処にあたり、誠意を示し信頼を回復できるよう取り組んでいます。このようにして、お金という媒体によりお客様との信頼を構築しています。
篠原氏は「過去は信用 未来は信頼」という心のキーワードを常に持ち続けてきました。「まずは、お客様の事案に全力で取り組み、その結果が次につながる。そうした、これまでの取り組みにより信用され、その積み重ねが信頼になる。そう信じて今日までお客さと向き合い、そしてこれからも実践していきます。」
「地域の成長と前進を求め、みなさまと共に歩みます」という経営理念をもって、真面目にお客様と向き合う篠原氏の覚悟と気概が見える例会でした。
11月28日(月)、富士宮清掃(有)「いろり」にて、11月度Aグループ会が開催されました。
(出席者:阿久澤氏、稲原氏、河村氏、菊池氏、佐野充洋氏、Bグループより草ケ谷氏)
今回は「リーマンショックを乗り越えて」と題して、(株)辰山組 佐野充洋代表取締役による「我が経営を語る」を行なって頂きました。
工場での産業機械の据付・修理・メンテナンスを中心に重量物の据付・移動、配管工事などを幅広く手掛ける(株)辰山組は、佐野社長が祖父の名前を元に平成9年に起業した後、順調に業績を延ばし平成18年に法人化した、社員5名からなる会社です。
義理と人情を大切に、作業中に道具をきちんと整理することを含め真面目に仕事に取り組んで来たことで業績を延ばしてきた(株)辰山組に大きな変化が起きたのが2010年。
2008年に起きたリーマンショックの影響が、少し遅れて(株)辰山組を襲ったのです。
2009年度から落ち出した売上がさらに落ち込み、とても会社を存続できる状況では無くなってしまい、公的補助を活用しながら次の一手を模索する日々が続きました。
そこで佐野社長が出した結論が、「御用聞きに全国を廻る」ことでした。西は神戸・大阪から東は茨城県日立市まで、元請け・下請けに関わらず今までに取引のあった会社73社を名刺交換した担当者を頼りに「何か手伝えることはありませんか?」と、全社を廻ったのです。
冷たくあしらわれた会社も何社かあったものの、多くの会社で好意的な応対をしてもらうことが出来たそうです。ただ、どの会社も設備投資を控えている状況の中での訪問ですので、当然ながら受注にまで至るケースは、あまりありませんでした。
そういう状況の中でも、「うちでは無理だけれども、ここなら話を聞いてもらえると思う」と近くの会社を紹介してもらったり、しばらく経ってから仕事の依頼話が来たりと、直接出向いた効果がじわじわと効いてきて、現在では、仕事をある程度選別することが出来るまで業績を回復させるまでに至りました。
所属する業界団体の会合と日程が重なるため、なかなか支部例会に参加出来ない佐野社長なのですが、5年ほど前に参加した県行事で聞いた言葉を座右の銘として手帳に書き留め、その言葉をいつでも見て初心に帰れるようにと毎年更新する手帳に書き移していたり、苦境の中で全社を廻ったりと、同友会活動の基本である「愚直に学び、実践する」を最も行なってきた会員の一人ではないかと思います。
また、自身が独立開業をする切っ掛けとなった「社会保険に加入している会社に勤めたい」という思いで会社を経営している姿は、これもまた同友会活動の基本「人を生かす経営の実践」そのものであると思いました。
「会員は辞書の1ページである」と言われていますが、とてもためになる、印象深い1ページを見ることが出来たグループ会でした。
11月21日、富士宮支部Eグループ会を行い、株式会社丸繁の渡邉卓氏より「水と私~流通の現状から未来を変える」と題して報告をしていただきました。
食品問屋として地元のスーパーとのつながりを持っている中で、スーパーの統合により、物流の拠点の大型化、遠距離、直前の納品対応等、厳しさを増していく中で、様々な新事業への挑戦をしていきました。
また、これまでの大手取引先からの突然の契約打ち切りにより、9割の減収に。
しかし、これまでの経験や人脈を生かし、スーパーへの水素水導入などの仕掛けも現在行っております。
同友会での経営指針を作る会への参加。現在の自社の強みを再発見し、これからの展開を語っていただきました。
過去、新事業を行ったときに多くの失敗をし、聞いている側としては非常にシリアスに思うようなことも、渡邉卓氏の非常にポジティブに物事をとらえてどんどん次に進んでいく姿は非常に勇気づけられました。経営指針作成シートも改訂を重ねている過程を垣間見ることが出来、自社の将来に対して真摯に取り組んでいる様子も見ることが出来ました。
今回は参加人数も多く、世代もバランスよく、報告後も話が尽きないグループ会となりました。
10月25日、クリスタルホールパテオンに於いて、10月青懇として『富士宮地区青年団体合同ビジネス講習会』へ参加しました。
「合同ビジネス講習会」ということで、富士宮地区で活動する当会、「富士宮商工会議所青年部」、「一般社団法人岳南法人会青年部」、「一般社団法人富士宮青年会議所」が集い、各会員同士の学びや交流を深める場として開催されました。
冒頭、各会の代表者より挨拶がありました。
今回は講習テーマを『富士宮市中小企業振興基本条例(以下、「振興条例」。)について学ぶ』とし、講師をシンコーラミ工業株式会社 取締役会長 河原﨑信幸氏、富士宮市企画部企画戦略課課長 篠原晃信氏の両名からお話を頂きました。
(左より河原﨑氏、篠原氏)
先に河原﨑氏より「振興条例への思いと制定までの流れ」という枠組みの中で、河原﨑氏が振興条例に対しどういった想いで取り組んできたかを御説明頂きました。
振興条例制定に至るまでおよそ10年の時間が掛かっていますが、そもそものきっかけは氏自身が福岡で行われた中同協提示総会で知った「中小企業憲章案」です。憲章案を知った氏を中心に、各団体を交えて独自に勉強会を展開されました。ヨーロッパでは中小企業憲章が浸透しており、「スモール・イズ・ファースト」つまり中小企業を最優先するという考えの中で、素晴らしい企業が生まれているというのです。
その後、様々な経緯を経て2015年4月に富士宮市において基本条例が施行されるに至り、振興条例をより有用に機能させるため、地域の各団体を交えた「中小企業振興懇話会」を設置。現在は懇話会を通じて、富士宮地内で官民が共働できるような活動や提言を行っています。
直近では市街地にある工業地を市内郊外へ誘致できる仕組みを作っているそうで、大規模災害等が起こった際には市街地で工業を続けるのは問題が生じやすく、そんな時にも持続的に稼働できるような取り組みを進めているとのことです。
氏は「液体の入った樽は転がすまでが大変だが、転がしだせば止まらない。懇話会等を通じて、転がる樽のように活動の勢いをつけるところまで関わっていきたい」とこれからの意気込みを述べました。
続いて篠原氏より、市職員として条例を通じた行政側の変化や現状のお話を頂きました。
氏は自身の経歴が他の職員と異なり、一部署を短期間で異動せず、一部署に長期で携わるというユニークな経歴を持ち、前任となる法規の経験が現在の職務で非常に活かされているとのお話でした。
振興条例は理念法であり、使い方によって効果に雲泥の差が出るとのお考えで、氏は「振興条例は自治体の強力な意思となるものである」として積極的な活用を推進されているそうです。
振興条例は「縦割行政に横軸をつくることが出来る」ということで、最近では市街地と道路整備について振興条例が役立っているとの説明もありました。
また地域の中小企業に対しても、振興条例を根拠として行政ないでの意思疎通がしやすく、予算をつけやすくなる効果も発揮できているとのことです。
これから人口減少が全国的にこれまでに経験のないスピードで進行し、各地域で同じような人口減少対策をとる中で、氏は産業活性化が最重要とし、振興条例を活かして「産業が元気なまち」に取り組んでいきたいとの意気込みを語られました。
参加者からの質問も活発に行われ、これからの地域づくりに対して非常に有意義な会となったように思います。
私自身、富士宮地区外での活動が多いのですが、こうした活動を積極的に吸収し、自分の地域に対する働きかけのいい刺激となりました。
青懇副部長 中村 仁(社会保険労務士法人シャイン)