8月8日(金)、8月納涼例会が志ほ川バイパス店にて開催されました。
(出席者:49名 支部会員:40名、オブザーバー:6名、他支部会員:2名、事務局:1名)
今回は、「わがまちづくりの歴史をひもとき、そのアイデンティティーを知ろう!」と題して、前富士宮市役所都市整備部長である、角入一典氏[富士設計(株) 専務取締役]を講師に、60分の講話をして頂きました。
長年にわたって富士宮市の都市計画の最前線に立ってきた角入氏のことですから、外神スポーツ広場・北山工業団地・南陵工業団地・ファーマーズマーケット「う宮~な」・駅前交流センター「きらら」・せせらぎ広場・神田門前町化・市街地電柱地下埋設化等々、現在の富士宮の根幹を成す数々の重要なプロジェクトに深く関わってきた中で、今回は、大鳥居移設・イオンシネマ・鉄道高架事業の3つに絞ってお話をして頂きました。
まず、大鳥居移設の話ですが、今昔物語集等にも書かれている浅間大社の古い呼び名「富士の宮」を市名に採用していることからも、宗教とは切っても切り離せないまちであり、そのシンボルである大鳥居が駅前にあったという全国的に珍しい光景も、「宗教のまち」と考えればごく自然なものであり、その大鳥居を取り壊したことでまちのバランスが大きく崩れ、結果、「政争と暴力団のまち」として長きにわたって行政運営に支障が出たことは、「大鳥居のたたり」ではないけれども、決して偶然では無かった、とのことです。
昭和56年に撤去された大鳥居は平成18年にようやく移設が完了しましたが、それに合わせるかのように富士宮焼きそばが大ブレークし、自然遺産として登録されなかった富士山が世界文化遺産として登録され、富士山世界遺産センターが富士宮に建設されることに決まったことも、「大鳥居のたたり」から解放されたせいなのかも知れません。
「浅間大社のまち」だからこそ、現在の門前町「風」の街並みを改め、こだわりのまちづくりで本物の門前町を作り、そこから日本文化を世界に発信することが、これから富士宮市が大きな飛躍を遂げるための唯一の道である、と強調されていました。
イオンシネマの問題は、オーミケンシが操業していることにより駅南部一帯が工業地域に指定されたことに端を発し、その後、平成18年に都市計画法が改正され、大規模集客施設・アミューズメント施設は「商業地域」・「準工業地域」にしか建設出来なくなり、計画中であったイオンシネマも現行法規上は建設不可となってしまったのですが、地元からの強い要望(昔は映画館がたくさんあって華やかであった)も強くあり、全国的にも珍しい特例措置の適用で用途地域変更なしに無事開業させたということです。
当然、特例措置の適用にはかなり煩雑な手続きが発生するわけですが、そこまでして用途地域変更をしなかったのは、「都市計画は市民の財産に大きく関わる問題である」という認識のもと、公平な立場で愚直に都市計画に取り組んできた姿勢のあらわれの一つだと思いました。
鉄道高架事業も、本当に長い期間、それこそ市長が変わるたびに計画が一から見直され、右に左にとさまざまな紆余曲折を経た末に、富士宮駅-西富士宮駅間の高架化(野中踏切のみ立体化)と、駅周辺のバリアフリー化(エレベーター設置)に落ち着きました。
高架化の費用対効果についてはいろいろな意見があるかとは思いますが、昭和40年代に行なわれた身延線複線化事業の際に、当時の国道1号線の渋滞解消を目的の一つに富士駅-入山瀬駅間を高架化したことは、現在に至るまで頻繁に道路拡幅工事が行えている状況を見るにつけ、いかに当時の富士市のビジョンが明確であったことを再認識させられます。
(かたや富士宮市は、団体ホームと車両基地を作っただけで、結果、拡幅で危険となった踏切を駅周辺に増やしただけ)
去年、芦澤副市長が同じく8月納涼例会で話をされていた、身延線の延伸計画(新富士駅との在来線の接続)と同様に、「あの時、ああしとけば、今頃は・・・」という大きなターニングポイントの一つであったことは間違い無いですし、そうなれば、今の高架化も別な形となっていたのかも知れないと考えると、ビジョンをしっかりと持った政策決定が、いかに重要であるかを考えさせられます。
最後に、「焼きそば食べに来たのに、なんか雰囲気の良いまちだね」と言われるようなまちになってくれたら嬉しいという思いを語って頂き、講話を締めて頂きました。
お礼の言葉は、河原﨑信幸氏[シンコーラミ工業(株) 取締役会長]が行なったのですが、もう若い頃から切った貼ったを繰り返している二人のことなので、お二人とも「今さら、かしこまってお礼なんて・・・」と思っていたようですが、「どんな相手であれ自分の考えをしっかりと言う」という角入氏のブレないスタンスが、良好な関係が今も続いている大きな秘訣だったのではないかと思います。(河原﨑氏も同じスタンスですが・・・)
こうやって、行政のキーマンと支部会員のキーマンとが裏表の無い関係で繋がっているというのが、富士宮支部の誇れる財産でもありますし、その財産を生かし、引き継いで行くのが我々若手会員の使命であるとの思いを強くしました。
その後、1階に場所を移して、納涼会(懇親会)が開催されました。
角入氏の廻りには若手会員が集まり、「お酒が入らないと話せない」話で、大いに盛り上がっていました。
(もちろん、オフレコであります)
また、他のテーブルからもあちこちで大きな笑いが出ていて、かなり盛況に会員同士の交流が図られていました。
さらに場所をDiningBar EN’S(遠藤崇浩会員のお店)に移して、深新の会(二次会)が開催されました。
皆が真剣な顔をして何かに集中しているのは、こんな遅い時間まで難しい問題を考えている、という訳では当然無く、集中した視線の先に、夏場なのにプリプリの牡蠣が待っているからであります。
(県東部エリアで、これだけの牡蠣が食べられる店は、他にはありません)
今後、「豊かな地域社会」を実現するためには、我々中小企業家の努力は勿論のこと、行政の果たすべき役割もより大きなものとなってきます。
その中で、我がまちの生い立ちと根底に流れるフィロソフィーを知ることが出来たと同時に、角入氏の肝入りで若手行政マンと若手会員との交流を図る場を作るきっかけとなった今回の納涼例会は、今後の地域社会の有り方を考える上で大きなターニングポイントとなった重要な例会になると思います。
講師を務めて頂いた角入さん、準備や参加をして頂いた会員の皆さん、どうも有り難うございました。
7月24日、三島支部7月例会に参加してきました。 今回は、三島支部の重鎮、(株)姫沙羅 原俊治代表取締役が報告を務めることもあって、いつもより多くの参加者で賑わっていました。(参加者:21名)
報告内容は、「皆さんは社長の仕事ができていますか ~打つ手は無限をテーマに経営哲学を熱く語る~ 」と題し、コーディネーターとして隣に座る三田支部長が質問をして、それに対して原社長が答える、という形式で進められました。
示唆に富んだ話をいろいろとしてくださいましたが、やはり経営者には「しっかりとした戦略」を持つことと、「数字に強くなる」ことが必須のものであると改めて感じました。
その中で、「原価が100円だから200円で売ろうという発想は止めなさい。そこにどれだけ付加価値を付けられるかという考えを持ちなさい。付加価値を付ければ付けるほど、他の人が真似出来ない商品になります。」という言葉は、今まで自分が持たなかった新鮮な視点で物事を捉えていて、いわゆる「目から鱗」状態となってしまいました。
ただその言葉の中にも、「付加価値の上げ方に一定のルールは存在しない」「価格決定権を持たなければならない」という、経営者が行うべき仕事「戦略」と「数字」がしっかりと折り込まれていることに気付くことが重要です。
今年2月に開通した伊豆縦貫道(東駿河湾環状道路)により店の前の道路事情が全く変わってしまい、店へのアクセスが悪化した結果落ち込んだ売り上げを、逆転の発想でサービスの質を向上させることにより売り上げを回復したという戦略も、カーナビ情報が更新されて縦貫道が地図に載った時にどのような変化が出てくるのかがひとつのポイントであるという視点も、経営者としてとても大事な資質であり、大変勉強になりました。
「良い経営者の共通点は、友人が多いことです。友人を作るコツは、人の話を良く聞くことですが、その上で自分の話を良くすることも大切なことです。相手に自分をドンドンぶつけてみてください。」と原社長がおっしゃっていましたが、会員自身が原社長と古くからの知り合いであったり、会員の父上が原社長と同級生だったり、とにかく人の繋がりが半端ではない原社長自身が「良い経営者」であることは、疑いようもない事実です。
その事実を如実に示したのが、今回のサッカーワールドカップでのPV(パブリックビューイング)問題でした。
適切な会場が見つからない中で「地元函南町出身の代表選手なんてこの先100年は出ないであろうから、今ここで内田篤人選手を全力で応援しなければ絶対に後悔する。だからみんなで一生懸命応援しよう」と函南町長を電話一本で説得して(脅して)会場がセッティングされたことは、原社長以外には絶対誰にも出来ない芸当だと思いました。
TVCMに出てくる美人の仲居さんしかイメージに無かった姫沙羅が、今回の例会でグッと近いものに感じることが出来ました。
原社長、三島支部の皆様、どうもありがとうございました。
(何回も通っている三田支部長によると、TVCMの仲居さんは、どうやらお店にはいないようです。)
7月4日(金)、志ほ川バイパス店にて7月例会が開催されました。
報告者は、(株)タケウチ 竹内昭八 代表取締役会長で、「中小企業振興基本条例が描く未来と地域に生きる中小企業の果たす役割」と題して、ご自分の半生を振り返りながら60分間、熱い報告をして頂きました。
日用雑貨の卸問屋である(株)タケウチは、竹内商店として先代が1931年に創業後、1968年に法人化、1986年に現在の社名に改称、1991年に郊外型配送センターの建設・本社移転と、創業以来順調な成長を続けてきましたが、1990年代に入り激動の時代を迎える中、大幅な規制緩和が実施された影響をまともに受け、大型店との圧倒的な競争力の違いによる売り上げ減少に苦しみながらも、何とか活路を見いだすべく飽くなき挑戦を続けている会社であります。
この圧倒的な競争力の違いによる影響は、1989年に全国で1,540社あった日用雑貨卸問屋が、10年後の2000年には936社、昨年2013年には305社にまで減少しているという事実(25年間で8割減)を示しただけでも十分理解できるかと思います。それだけ激しい、吸収・合併・廃業が行われてきたということです。
中小企業が不当な競争に晒され、地域の小さなお店がどんどん潰れ、地域が疲弊していく中で出会ったのが、2000年に採択されたヨーロッパ小企業憲章で「小企業はヨーロッパ経済の背骨である。小企業は雇用の主要な源泉であり、ビジネス・アイディアを産み育てる大地である。」で始まる文章に大きな衝撃を受け、そこから、それこそのめり込むように憲章学習運動に参加し、そこでの精力的な活動が、やがて憲章・条例推進運動に発展し、富士宮市中小企業振興基本条例の草案作りから制定目前(今年度中制定予定)にまで漕ぎ着けた、という実績に結びついています。
我々富士宮支部の人間が全国大会に出掛けた際、他県の代表理事クラスの方と名刺交換すると必ず、「竹内さんのいる支部ですね、竹内さんはお元気ですか?」と異口同音に答えて頂きますが、それは、竹内さんの果たしてきた役割や影響がとてつもなく大きかったことを端的に表している事象ではないかと思います。
竹内さんは、我々に問いかけます。「人間本来の豊かさとは何でしょうか。大量生産、大量陳列、大量消費、大量廃棄される今の生活スタイルが果たして豊かと言えるのでしょうか。当社で扱っているシャンプーは現在200種類を超えています。全く売れずに廃棄されてしまう銘柄もたくさんあります。消費者ニーズという作られた虚構にいつまでも自分の判断を委ねていて良いのでしょうか。」
行き過ぎた市場原理主義がもたらす「常に敗者を作りだすことでしか成長することが出来ない」という弊害と、既に突入した人口減少社会を考えると、今のままではこの先、地域社会は成り立たなくなってしまいます。
未来を担う子供たちに安心して生きていくことができる地域社会を引き継ぐためには、「持続可能な社会」を実現していくことが不可欠ですが、その実現のためには、いわば理念というべき「条例」が必要であり、その担い手として我々「中小企業家」が必要となってきます。
「歴史を振り返ってみても、時代の節目々々で中小企業家が大きな役割を果たしてきたが、これは、自らリスクを背負い挑戦し続けてきたからこそ持てる鳥の目虫の眼を持っているからである。だから我々中小企業家こそ、時代をリードしていく資格があるのです。」という力強い言葉で報告をまとめて頂きました。
バズテーマは、「地域の中で自社が果たすべき責任とは?」だったのですが、市場原理主義がもたらす弊害はどの業界の方にとっても深刻な問題となっているため、どのテーブルも活発な意見交換が行われていました。
持続可能な社会を実現させるためには、竹内さんの言った「競争的共存」という言葉がキーワードになりそうです。
また、報告の冒頭で引用された、百貨店の日曜休業の見直しを提案された際に、パリ市初の女性市長アンヌ・イダルゴさんが答えた、「小さな店が織りなすパリらしさを失いかねない」という言葉が持つ意味を我々自身で考えることが、新しい生活文化を創造する時代の入口となるかもしれません。
例会後、会場をこまつやさんに移し深新の会(二次会)が行われましたが、他支部の方を含め21名ものご参加を頂き、活発な意見交換が行われ、大いに盛り上がりました。
ご自身を「ロマンチスト」とおっしゃる竹内さんの両隣には「竹内さんの隣なら参加する」とおっしゃってくださった二人の乙女に座ってもらい、三人共暖かいお茶を飲みながら、さながら女子会のノリで会話が弾んでいたようでした。
最後に、富士宮支部の誇るミスター同友会の二名を中心に、その予備軍?が囲んでの記念撮影を行いました。
それぞれの記憶に大きく残る、とても良い例会になったと思います。みなさま、どうもありがとうございました。
参加者:54名 支部会員:45名 他支部会員:6名 オブザーバー:3名
(三島支部:☆三田宏一様 沼津支部:大神田浩司様 富士支部:☆佐野譲二様、西村知浩様
静岡支部:☆松下恵美子様 磐田支部:☆山崎眞様) ☆印:県条例草案作成WGメンバー
6月14日(土)、藤岡兵庫同友会代表理事と宇佐美支部長・田邉・稲原の合計4名で富士宮の観光名所を巡ってきました。
まずは、浅間大社と湧玉の池という、まちなかの定番観光コースをゆっくりブラブラと廻りました。
この日は、梅雨時とは思えない絶好の観光日和となり、まずこの時期では絶対拝むことの出来ない富士山がクッキリきれいに顔を出してくれて、藤岡さんにも大変喜んで頂くことが出来ました。
次は、宮町商店街の中に田邉氏が今年の5月にオープンさせた、丸カフェへ行きました。
開店前でしたが、社長特権で強引にお店を開けてもらいました。(スタッフのみなさま、ご迷惑をお掛けしました)
ここは、富士山グッズを扱うお店で、富士山をモチーフにした商品の種類の多さに藤岡さんも感心しきりでした。
その中で「富士山カラーコーン」がいたく気に入ったようで、「こりゃ、売れますよ」と太鼓判を押して頂きました。
(その後、あちこちの観光地で目撃する度に「やっぱり、売れますよ」発言を連発していました)
ここには、富士山グッズ以外に地元富士宮の特産品も扱っていて、その中に白糸(上井出)でドイツ人がドイツの製法と富士山の湧水にこだわって作ったバイエルンマイスタービールがあり、説明を受けているうちに飲みたくなってしまい早速その場で味見となりました。(あくまで、味見です)
まちなかを後にして白糸の滝に向かったのですが、バイパスを通らず、潤井川・大石寺・上野の里山などの景色と移ろいゆく富士山の眺めを楽しみながら、下道でゆっくりと向かいました。
白糸の滝は、2011年3月の地震や9月の台風による被害と富士山世界遺産登録に向けての周辺整備のためしばらく観光が出来なかったのですが、昨年末に整備が完了し、その美しい姿を久し振りに見ることが出来るようになりました。
3人とも、整備されてから初めて白糸の滝に行ったのですが、滝壺周辺は本当にすっきりとキレイに整備されていて、以前の何倍もの魅力がある観光スポットとなっていました。
(上の土産物店の猥雑さは、前とあまり変わっていませんが・・・)
ただ、こうやって観光しながらも藤岡さんは、公共駐車場が500円なのに、周辺の民間駐車場が2~300円で、しかもその店で500円以上買い物をすると駐車場代がタダになることにしっかりと目を光らせていたので、何か新しいビジネスモデルを考え付いたのかも知れません。
白糸の滝を後にして、さらに北にある田貫湖に向かいました。
田貫湖は、元々は田貫沼という小さな沼だったのですが、農業用水確保のため昭和10年頃から周囲に堤防を作ることで出来た、周囲4kmほどの人造湖です。
人気の高い休暇村富士から富士山を眺めると、その姿がキレイに湖面に映し出されダブル富士(逆さ富士)となるのですが、毎年4月20日と8月20日前後には、山頂から太陽が登るダブルダイヤモンド富士という、とても貴重な光景をここから拝むことが出来ます。(その日は、日本中から集まった富士山マニアがカメラを構えて日の出を待ちます)
休暇村富士に着いた時には、山頂付近が雲に隠れていたのですが、湖面に設置されたウッドデッキまで歩いている間に雲が晴れ、この時期には本当に貴重な雲の無い富士山をバックに撮影することが出来ました。
(水量が少なくて、逆さ富士にはなりませんでしたが・・・)
観光の締めは、もう一度まちなかに戻っての昼食でした。メニューは「富士宮やきそば」と「ねぎてん」です。
富士宮やきそば独特の麺のコシと絶妙なウスターソースの味付け、ねぎてんの圧倒的なねぎの量とそこから引き出される甘さに、コナモン文化で最先端を行く関西人の藤岡さんにも大変ご満足を頂き、富士宮を後にして頂きました。
今回観光案内ボランティアよろしく、田邉さんがその豊富な知識で富士宮・浅間大社・富士山等の歴史や文化、風土、果ては裏話まで、道中ずっと藤岡さんに丁寧な説明をして頂いて大変助かりました。どうもありがとうございました。