2月5日に開催された富士宮支部の2月例会は、毎年恒例「新入会員さん出番ですよ」と題し、株式会社ユーシ・イレブンの赤池朋彦氏、株式会社辰山組の佐野充洋氏、丸山工業株式会社の九川治喜氏の三氏が発表しました。
赤池氏は、競争の激しい金融関係の仕事の中で10年近く従事。同僚がどんどん退職していく中で「努力は裏切らない」と気付きをえて取り組みました。やがて、実父とその仲間たちが11人で立ち上げた紙・貼箱加工の同社に入社。小さい頃は父とのぶつかり合いも多かったものの、今は大人として尊敬・尊重しあう中に。いずれは会社を継ぐ立場にあるものの、「今はまず経験を」と、営業・受注・生産管理と一通り取り組み、経験を積んでいます。
佐野氏が経営する同社は、大型機械設置等の重量とび業。小さい頃、家がお金で苦労したことから、「将来社長となって稼ぐ」と立志されたとか。当初は現場で作業をする職人の一人。やがて才能を認められチームを取りまとめる事になり、元請けの社長から「辰山組」と、命名されました。信頼を積み上げてやがて株式会社として独立。しかし、これからは職人としてではなく、経営者の哲学、姿勢が必要だ、と同友会に入会。全員が真摯な同友会の仲間との学びの中でたくさんの気づき・衝撃・感動を得て、より深めていきたいと決意を語りました。
九川氏は、音楽大好きでバスーン他様々な楽器を演奏。奥様とも音楽の縁で出会いました。当初は関東方面で全く別の仕事に就いていましたが、親類が経営する同社に入社するため静岡に帰郷。そして2006年、代表取締役に就任。しかし、経営に対する危機感から同友会に入会し、経営指針勉強会にも所属、名実ともに真の経営者になるべく日々研鑽を重ねています。
経営者は、常に学びの日々。三氏ともに「自ら学ばねば」と、危機意識をもって取り組んでいます。その意識があるかないかで、会社は大きく変わり、成長の度合いも異なってきます。少数精鋭であることが多い中小企業はなおさら、社長の想い・決意・一挙手一投足が会社の命運を分けます。
一日も早く素晴らしい経営者になりたい、そんなはやる気持ちを抑えて、今日も一歩一歩、着実にステップアップしていく三氏の姿勢に刺激をうけた例会となりました。
報告:田邉元裕(有限会社カボスメディアワークス)
私の趣味の一つはランニング。H19年の2月頃から初めたと思う。陸上未経験で昔から走ることが大の嫌い。小、中、高のマラソン大会はいつも後ろの方。高校の時などゴールしたら撤収後で下校中の生徒がいる中、校庭に戻ってきたほどだ。それが30代のある時を境に走ることに目覚めたのである。
走り始めは平成19年2月頃だったと思う。当時は安全靴に作業着という出で立ちで子供達を連れて公園で遊ばせそのついでに目の届く範囲でジョギングしていた。この時思った事は、安全靴は走る為には全く考えられていないということ。すぐにソールが剥がれてしまった。「よく作業服で子供らをつれて来てたなぁ」といまだに周りのランナーには当時の話をされる。
週に2、3日走りに行っていたら地元のランナー達の目に止まった。声を掛けられすぐに仲間になった。皆に大会への出場を勧められ物は試しだとエントリーした。一番最初の大会は「富士山こどもの国」の中を走り回るクロスカントリー10kmの部。行ったことのある人は分かるだろうが起伏が半端ではない。私の周りのランナー達もいきなりあそこでは・・・と言ったほどだったが、エントリーしてしまったので後戻りも出来ない。完走はしたものの、非常にしんどかった。しかしこれがキッカケで一気に練習に熱が入り記録への執念が湧きはじめたのだ。
そして今や、年に20本前後の大会にエントリーしている。ほとんど、毎日の練習は欠かさない。仕事を終えるとそのままジョギング。夜会合などある場合は昼間時間をやりくりしてジョギング。週に一度はポイント練習で体を追い込む。それは見ている他のランナーが引いてしまう程。まるで部活のようだと私は思う。昨年のH21年11月河口湖フルマラソンでは2時間56分という記録を出せた。
たった3年ほどの経験でもここまで走れるようになった。やれば出来る!と自分の人生での自信もついた。仕事のストレス発散にもうってつけだった。
ところで、日頃よく「何故走るのか?」と聞かれる。いつも、外向けには「メタボが気になるから。」と答えているのだが、実は本当のキッカケが他にある。
走り始める以前、妻が病で倒れた。私の家では子供達の面倒を見れる(自分の親との同居)環境がなかった為、私と子供3人は妻の実家で世話になることとなった。
当時子供は上から5、3、1歳。朝の出社前に三人を保育園に預け帰りがけに引き取り、実家へ帰り晩飯をもらい風呂や明日の支度をして就寝。実家にも兄さんたちの姪達がいるので、なかなか子供達の思うようなワガママも聞いてやれなかった。休日だけ外へ連れ出してお菓子やアイス等ワガママを聞いてやることができた。
妻の病院へも見舞いや付き添いに行き、私はそれらを何の苦労とも思わなかった。ただ寂しさが募った。そして思ったのは私が倒れたら、とそれを考えたらいてもたってもいられなくなっていった。
「私が病気になって家族に同じような寂しさはさせたくない・・・」と誓い、自分の置かれた環境で出来る事を考えた。妻が病に伏せるとこんなに大変なんだという事を改めて感じた時でもあった。
そんな時に、仕事の合間空いた時間で一人で出来る、お金もかからない、健康でいられる。それがジョギングだったのである。
普通の生活を送っていると全く気づかない幸せ。
それは、普段と変わらぬ生活が出来るコト。朝家族みんなで目を覚まし食事をし、一日の事に一喜一憂し、一緒に風呂に入り布団に入る。なんとも幸せなことか。
不健康になると健康のありがたみが良く分かるのと同じ。若いからとたるんでいるとしっぺ返しが必ず来る。そうはならないかもしれないがそうなったら後戻りは出来ない。
今では走る事に関してシビアになり過ぎ逆に体を不調にさせている事もある。家族に「走りすぎ!」と釘を刺される事もある。
でも自分の不健康で家族に寂しい思いをさせたくないから、今日も走ろう。
株式会社朝日鉄建 朝日康典
昨年、私の妻の友人のアマチュアヴァイオリン奏者のRさんから「富士市内の小学校から音楽教室の依頼を受けたのですが、一緒に演奏しませんか?」と、妻(ピアノ)や私(バスーン)も誘われました。ふだんあまり馴染みの無い楽器を間近に見て、聴こうという主旨のようです。当初、あまり自信はありませんでしたが、友人のたっての頼みと言うこともあり、快く引き受けました。
「小学校の音楽教室かあ・・・懐かしいなあ・・・」
と、自分が小学校2年生の時のことを思い出しました。
同級生にヴァイオリンを習っている女の子がいて、ヴァイオリンは珍しいからと、当時の先生の計らいでその子が各教室をまわって3分程度演奏してくれたのです。その光景は当時少年だった私の心に深く刻まれ、今でも覚えています。
何度か練習をしているうちに、あっという間に約束の日が来ました。12月のとある日。初めて行ったその小学校は駿河湾がきれいに見えるだけでなく、校舎もきれいでお洒落なデザイン、中に入れば広々としていて、本当に市立の小学校?という印象でした。時代はかわるものですね。
5年生全員、3年生全員、4年生全員の順で各学年の音楽の時間を担当しました。ヴァイオリンやバスーンの音色を聴かせたり、音の出る仕組みを説明したり、バスーンと子どもたちとで背比べしたり・・・。授業とは言っても楽しいひとときでありました。
嬉しかったのは、意外と言っては失礼ですが、音楽や説明を聞く時の子供達は一切おしゃべり等せず真剣に聴いてくれました。また、感心したのは質問コーナーで矢継ぎ早に真剣な質問がきたこと。
「どうしてバスーンはそんなにごちゃごちゃしているんですか?」
「どうしてバスーンは吹く所はとても細いのにだんだん太くなるんですか?」等々・・・。
自分もとっさでしたが、ひとつひとつ真剣に答えました。
最後の締めくくりは、クリスマスの時期ということもあり、「あわてんぼうのサンタクロース」をみんなで歌って終わりました。
↓そのときの様子を動画にしました。
http://www.youtube.com/watch?v=t5oq2kZJatI
ちなみに、後日ネットでこれを見てくれた編曲者の山口景子さん( http://hk.pose.jp/index2.html )から「ぐっときて涙がでた」とのメールをいただき、こちらもぐっときました。
つたない授業でしたが、この日の出来事は自分が小学生の頃のように、子供達の記憶の1ページに残ってくれたでしょうか?
丸山工業株式会社 代表取締役 九川 治喜
1月15日(金)、静岡県中小企業家同友会 富士宮支部の新年1月例会が志ほ川バイパス店にて開催され34名が参加。真打の神田陽子師の講談を楽しんだ後、懇親会を開催。12月に入会した新会員2名も参加し、新年の活動にはずみのついた例会となりました。
神田陽子師匠 ホームページ
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kan-yo33/index.html